
光照墓苑との関係
光照墓苑は、神楽坂・光照寺の墓地です
光照墓苑は、神楽坂にある浄土宗寺院・光照寺の墓地です。墓苑そのものは若松町の宝祥寺境内にあり、日々の管理は宝祥寺が行っています。光照寺が墓苑を直接管理しない、この少し珍しいかたちのおかげで、檀家になる必要がなく(入檀不要)、宗旨・宗派も問わず(在来仏教・神道の方)、寄付金等もかかりません。お寺の墓地の安心感と、民営霊園のような自由さを両立しているのが光照墓苑の特長です。
光照寺の基本情報
| 正式名称 | 樹王山 正覚院 光照寺(じゅおうざん しょうがくいん こうしょうじ) |
| 宗派 | 浄土宗(増上寺の末寺) |
| 所在地 | 〒162-0828 東京都新宿区袋町15 |
| 最寄駅 | 都営大江戸線「牛込神楽坂駅」A2出口 徒歩4分 |
| 創建 | 慶長8年(1603年)神田元誓願寺町に起立、正保2年(1645年)現在地へ移転 |
| 開基・開山 | 開基 松平次郎左衛門信貞 / 開山 清誉上人光照 |
歴史
光照寺は慶長8年(1603年)、神田元誓願寺町に開かれ、正保2年(1645年)に現在の牛込袋町へ移転しました。境内地は、室町時代初期に上野国大胡(現在の群馬県)から移った大胡氏(のちの牛込氏)が築いた牛込城の跡と伝えられ、新宿区登録史跡「牛込城跡」となっています。堀や城門などの記録は残っておらず、住居を主体とした館であったと推定されています。
江戸時代には出羽松山藩(現在の山形県)藩主・酒井家の江戸における菩提寺となり、初代忠恒をはじめ歴代藩主一族の墓が境内に並んでいます。また、文政8年(1825年)に神田松永町の旅籠屋・紀伊国屋の店主利八が、旅先で亡くなった人々の菩提を弔うために建てた「諸国旅人供養碑」があり、信濃・奥州・越後など諸国からの旅人の名が刻まれています。
光照寺の墓地である光照墓苑が、寺から少し離れた若松町の宝祥寺境内にあるのは、明治のはじめの墓地行政によるものです。詳しくは光照墓苑の歴史をご覧ください。
文化財
光照寺には新宿区の指定・登録文化財が数多く伝わっています。
- 木造地蔵菩薩坐像(区指定有形文化財):鎌倉時代の作。寺の前の「地蔵坂」の地名の由来とされます
- 木造十一面観音坐像(区登録有形文化財):木食五行明満作
- 阿弥陀三尊来迎図(区指定有形文化財):室町時代の作
- 法然上人画像(区指定有形文化財):室町時代の作
- 涅槃図(区登録有形文化財):元禄〜正徳年間、狩野派の作
- 諸国旅人供養碑(区登録文化財)、便々館湖鯉鮒の墓(区登録史跡)、牛込城跡(区登録史跡)
所在地
光照墓苑(お墓)に関するお問い合わせ・ご見学のお申し込みは、光照寺ではなく、墓地販売を行う株式会社中山石渠(フリーダイヤル、またはお問い合わせフォーム)までお願いいたします。